case_5 右肘痛

5年ほど前に痛かった右肘がまた痛くなりました

整形外科専門医であり国際マッケンジー協会認定セラピストでもある私がどのようにマッケンジー法による患者さんの評価・治療を行うのかをご紹介するマッケンジー法・症例ファイル。

今回はマッケンジー法の研修会の様子を少々ご紹介したいと思います。

マッケンジー法の研修会では毎回実際の患者さんにご協力いただいてデモを行います。加えて受講者の中から何らかの症状のある患者ボランティアを募集するんですが、二十数名もいれば2〜3人はなんらかの症状持ちなんです。
今回は研修会パートD受講生の一人、右肘の痛みがあるKさんのお話です。

Kさんは40代の男性です。5年ほど前に一度同じ部位が同様に痛くなったことがあり、右上腕骨外上顆炎(テニス肘とも呼ばれます)の診断でしたが、さほど長引かずに治っていたようです。
今回は、1週間前に散らかったガレージを片付けようと20Lオイル缶を持ち上げて動かそうとした瞬間にピキッと右肘外側に痛みが出現。以後、ものを抱える動作をするたびに激痛が走る状態です。

肘の診察をすれば上腕骨外側上顆炎の診断に実施される負荷テストも予測通り陽性になりますし、上腕骨外側上顆炎(病名についてはは異論のあるところですが、一般に流通している病名ということでご理解ください)の診断名で問題ないと思われます。
一般的な整形外科でしたらこの時点でリハビリ、ストレッチ法の指導と外用薬処方などを行い経過観察となるところでしょうか。

しかしマッケンジー法では上肢の症状であっても基本的に脊椎からアプローチします。

「えっ、だって肘が痛くて肘が悪そうとわかっているのに脊椎???」

そうなんです。

さて、講師の先生のデモが始まります。本人もマッケンジー法のコースを受けてきていますから、それなりに自己評価し、頚椎伸展エクササイズで痛みが半分くらいにはなるけど、ゼロにはならないという自己申告もあり、その方向がおそらく合っているように思えるという事前情報ありでスタートです。

ベースラインとしていくつか確認しましたが、その中の一番痛かった動作、持っている傘を振るときに右肘外側に激痛が走る事を確認しました。

効果があったという頚椎伸展方向のエクササイズをしばらくやってみます。

…結果は…

先ほどの8点(考えうる最大の痛みが10点満点として)の痛みが4点にまで改善します!

えっ、肘の痛みなのになぜ??

……という声が聞こえてきそうですね。
不思議なんですが、事実は事実、そのまま続けます。

その後、それ以上の改善がはっきりせず、思い切って悪くなると思われる屈曲方向のエクササイズをやってみます。
診断がはっきりしない時、あえて悪くなる方向を確認して良い方向を確認することもあります。

さっきと真逆のエクササイズ……結果は悪くなるはずと皆が考えました。

ところが!なんと、先ほどの痛みが4点から2点に改善したんです!

これは正直なところ、ちょっと予想外の展開。

というのも、全く反対の方向がどちらも症状を改善する方向ということは当初予測していたものとは異なっていました。
さらに同じエクササイズを繰り返すと2点の痛みが1にまで改善。
というわけで、宿題のエクササイズは症状の最も良くなった屈曲のエクササイズに決定しました。

*****

さて、第2日目。

エクササイズはそれなりにできていて、症状はかなり軽減はしているようですが、まだスッキリとはいきません。
まだ結論が出ているわけではないので再度伸展方向もさらに負荷をかけてやってみると……これでもまた症状は改善しているように思えます。
もうこうなるとどうしてよいのかと悩ましい状況になります。

その後、あれこれと研修会の会場で講師の先生と受講生の皆さんとで議論が進み、明日までのエクササイズの宿題が決まりかかっていたとき、Protrusion(首を前に出すような動作をあらわすマッケンジー法で使われる用語)をやっていないことに気づきます。

講師の先生、受講生の皆さんとも、その変化に期待は高まります

……結果は……

症状増悪しました!
でも皆さん、嬉しそうです。

症状が悪くなったのに、ちょっと不思議に思われる方も多いと思うのですが、悪い方向を確認してその反対を攻めるというのはとても理にかなったアプローチなんです。もちろん通常の患者さんにこのようなアプローチをする場合は事前にその意義をバッチリご説明します。

今回は研修会ということで、御本人の了承のもと、2日目のエクササイズの宿題はこの症状が悪くなるProtrusionの反復に決定しました。

本当にどれだけ悪くなるのか、その再現性もあるのかを確認しなくてはなりませんから、頑張ってもらうことになりました。ただし、この部分はあくまでも受講生ボランティアのデモということで同意の下で実施したことであって実際に患者さんを診察するときにはこのようなことはありません。

その後まもなくして昼休み、たまたまKさんと食事をご一緒することに。
テーブルに向かい合わせに座り、Kさんがコップに水を入れようとした瞬間、

「イテッ!」

まだたいしてエクササイズやっていないのにすでに痛みが戻っています。この方向が悪いのは間違いなさそうです。

*****

いよいよ、第3日目。

皆の期待は高まっています。
昨日からどの程度のエクササイズが出来ていたかチェックすると、なんと痛いのを我慢して8セットもやってきたとのこと。そのうち後頚部痛、両手指のしびれまででてきて、夜は首の痛みで眠れずと大変だったそうです。幸いしびれはすでに良くなっているようですが、デモのためとはいえ本当に感謝です。

しかし、これでかなり方向性がはっきりしました。
いよいよ診察開始、ベースラインの一つに傘の柄を持って振る動作での激痛があります。見てて痛々しいほどです。

まずは胸椎の負荷をかけた反復伸展から。

結果は……

肘の痛みは短時間でなんと1点にまで激減しています!

加えて念のため頚椎の屈曲伸展も再度確認。あまり大きな影響はないようです。
というわけで、結局胸椎の伸展エクササイズをやることになりました。

整形外科医なら100人中100人が肘の病変を疑い、肘の治療を行う病態でしたが、胸椎の伸展エクササイズで右肘痛が激減した事実を目のあたりにすることが出来ました。

今回のKさんの体を張ったボランティアにより、常に他の可能性を考えることの大切さと、赤信号を無視してどんどん進むと危険であるというリスクマネジメントについての基本ルール遵守の重要性を学ぶことが出来ました。

Kさんのような評価の方針が定まりにくいケースはさほど多くはありませんが、マッケンジー法による評価の流れの雰囲気をお伝えできれば幸いです。