10年前から続いている右肩痛
整形外科専門医であり国際マッケンジー協会認定セラピストでもある私がどのようにマッケンジー法(MDT, Mechanical Diagnosis and Therapyとも呼ばれます)による患者さんの評価・治療を行うのかをご紹介するマッケンジー法・症例ファイル。
今回は10年来の右肩痛で来院した70代男性のお話です。
70代といっても、まだ現役で農業といろんなものを運んだりする比較的重労働をこなしている男性です。10年ほど前から右腕の動かし方によっては右肩が痛いと思うようになったのですが、忙しすぎて病院にかかることができず放置していました。5年ほど前から症状が徐々に強くなって、最近では右腕を前から上げるような動作が痛くてできなくなってきて、いよいよ不自由になってきたため来院しました。
奥さんから最近、右肩が変形しているようだと指摘されているということで、みると翼状肩甲骨があり、棘上筋、棘下筋にも萎縮がみられます。
上肢のしびれ感や知覚異常は全くありません。整形外科的にはC5の頚椎症性筋萎縮(日本ではKeegan型麻痺とも呼ばれます)のようです。頚椎の単純X線検査ではその推測に合致する、下位頚椎を中心に骨棘形成を伴う変性所見を認めます。
頚椎性筋萎縮症では疼痛も伴わないことが多いのですが、右肩の前方挙上と外旋しながらの外転は90°で7点の疼痛があり、それ以上手が挙げられません。しかし、自分の左手で右手を持ち上げると疼痛なく160°ほどはスムーズに持ち上げられます。
頚椎ROMは軽度制限されていますが、いずれも右肩の疼痛は誘発されません。
座っておられる姿勢はかなりの猫背で、ご自分でもそう自覚しています。
まずは姿勢を1分ほど矯正保持してから伺います。

右手をあげてみましょうか

ん?…さっきより痛くないような…
(姿勢矯正 B?)
良い印象なので、背筋を伸ばして顎を後ろに引く動作のやり方をご説明し10回繰り返してみます。脊椎の動きが悪いので少し顎を引く角度など調整してみました。この動作を繰り返しているときの肩の痛みはありません。

もう一回右手をあげてみましょうか
さっきよりぐぐっと上まで上げて外側にも回してみながら

もう痛くなくなりました!

痛くないって、ゼロですか?

はい、ゼロです
(反復RET 10回 abolish B 右肩ROM 前方挙上 90→120°)
宿題にするエクササイズのやり方をご説明し初回評価を終了しました。
それから1週間後。

その後、肩の痛みどうですか?

もう手がこんなに上がるようになりましたよ
さっと手を上げて見せていただきました。可動域はやはり120°どまりのようですが、大変うれしそうです。エクササイズは暇さえあったらやったと言われます。

こんなに手が上がったのは10年ぶりです!
痛みのために10年来制限されていた右肩の動きが本人が日常生活に困らないと感じる程度にまで改善していることが確認できました。エクササイズのやり方を再度チェックし今後も続けられるようにおすすめして卒業にしました。
もう10年前くらいから徐々に進行したと思われる頚椎症性筋萎縮と右肩痛のある患者さんのお話でしたが、皆さんはこのお話をどう捉えられたでしょうか。
右肩の麻痺はどうなるの?…と思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
私の臨床経験からは、筋萎縮の経過が長くて、おそらく筋肉が脂肪変性して完成している人の筋肉は戻りません。もちろんMDTは魔法ではありませんからすべての問題を解決できるわけではありません。
この方は、痛みがなかったら仕事も含めその人なりの生活をできていたので、来院の目的は肩の変形を治すことではなく、痛みの治療でした。
最初の会話を割愛していますが、患者さんがどんな症状に困って来院されたのかをきちんと聞き出してから評価に入ります。萎縮した筋肉と翼状肩甲骨についてはおそらくこのままで治らないと思われるけれども痛みについては治療で良くなる可能性があることは事前にご説明しています。
医療者と患者の考えの摺り合わせができていない治療がトラブルに発展する話を耳にすることがあります。何をするにしても共同作業を行う際にゴールの摺り合わせは大切ですよね。
MDTでは詳しく問診するなかで、その患者が何に困っているのか、やりたいことは何なのかを把握しながら評価と治療を進めます。つまり、医療者から見て残された病態が、その患者にとって解決すべき問題でなければ、そこに手をつける必要は全くないのです。今回のお話しからMDTが全てを元に戻すような魔法のような治療ではないという一面もお伝えできればと思います。